こんにちは、アシスタントの多部 茶医奈(@chaina_tabe)です。
先生、今日の話はどういう内容ですか?
一言でいうとインターネットってキモいよなっていう話。
はい?
インターネットが発達する際の社会問題について考察してみたよ🐈
あ、なるほどですね(通常運転かこの人、、、)
ネットと人類の距離が近すぎる現代社会
第三次産業革命以降によるインターネットの急速な普及により、現代はネットと生活が非常に密着している状態となっている。今の時代はネットが無ければ生活ができないと言っても過言ではないだろう。
これは世界の抽象度が高まって暮らしの全ての部分が効率化している事を意味しており、最低限生活に必要な時間が短縮され続けている事を意味する。
これ自体は非常に素晴らしい事であり、浮いた時間で他の好きな事に自分のリソースを割けるので人生の充実度をより高めることが可能となる。
だが当然ながら問題点も存在する。
それは生活に必要な作業が全て人工知能により自動化されることで、無理をしなくても人間と関わらなくて済むという社会構造になっているという点だ。
つまりネットの存在で積極的に人間と関わらなければならないという強制力が、社会から個人に対して相対的に効かなくなってきている事を意味する。
今の時代ってネットを使えば簡単に友達を作れますもんね。
私はその行き過ぎている合理主義社会に一石を投じたいワケよ。
相変わらずの反骨精神ですね。
頭を使う必要性が薄れてきている時代
昔は回覧板や町内会など、共同体意識の強いイベントというものが存在した。
当時はネットが存在していなかったのでそういうオフライン上で強制的に人間と会わなければ物理的に情報交換ができず、生活自体ができなかったからだ。
だが今は違う。
ネット上で買い物や仕事、娯楽等全てが完結してしまうので、わざわざオフラインで人間と会う必要性が無いのである。
するとオフラインで人間と会う為の理由自体が完全に消失するので、当然ながら昔のような共同体意識は希薄となり、主体的に人間と会おうとしなければ会わない生活習慣となる。
昔は相性の悪い人間とも無理をして付き合わなければ生活ができなかったが、ネットが存在する現代では自分と相性の良い人間を簡単に見つける事が可能となったため、敢えて合わない人間と関わる必要が無くなった。
端的に言えばある程度自分の相性の良い人間同士が集まって生活することが可能となったのだ。
これは人間関係によるストレスを大幅に下げる事ができ、且つ人間関係による無駄なトラブルも減少するのでメリットはある。
だがその反面自分と相性の良い人間を選り好みする様になるため、自分と同じ価値観の人間としか関わらなくなる可能性がある。
すると個人の思想が偏り易くなるため、カルト化する危険性が表出する。
カルト化の恐ろしい所は思考の柔軟性が欠落するので、自分と違う価値観の人間に対して排他的になる点である。
すると同じ価値観の集団に依存する状態となるため、その集団が破綻した場合に自分の居場所が無くなる。
私が一番懸念している部分かな。
普段付き合う人間が偏ってしまうという点ですか?
そう。いわゆる単なる馴れ合い状態になってコミュニティがしばしばカルト化しやすくなる危険性を孕んでいるワケ。
自分自身が信用できなくなる社会の到来
だが自分の居場所とは究極的には存在しない概念であると私は考えている。
何故なら人間同士は本質的に分かり合う事は不可能であり、一番信用できる存在は自分だけだからである。
いや、むしろ自分すらも信用できない。
この世に本当の意味で信用できる概念は存在しない。
この思想を近世の哲学者であるデカルトは方法的懐疑と言った。
我思う、ゆえに我あり
ルネ・デカルト – 方法序説
このように社会の分断が加速すると不用意に人間不信に陥り、精神的に孤独になる人間が増加するだろう。
我々はこの問題を解決していかなければならない。
その為の方法の一つは、主体的に人生を生きるという姿勢を持つことである。
最近Googleが導入し始めているパーソナライズというシステムがある。
これは自分が興味のあるコンテンツが優先的に表示される様になる仕組みの事だが、大手IT企業がこのシステムを採用し始めている。
すると人間は情報を取得する時に受動的になってしまい、偏った知識ばかりを得てしまう。
これも人間がカルト化する要因の一つなので現代は大変危険な状況である。
故に主体的に動かなければならない。
具体的には定期的に自分の興味の無い情報を意図的に摂取しなければならないという事だ。
人間の脳は基本的に楽をしたがるようにプログラムされているので、惰性でネットを利用していると非常に精神的に有害な存在となる。
文明の利器は日進月歩で進化し続けており、ネットや人工知能も例外ではない。
またそのテクノロジーを人間が使いこなすのか、逆に使われるのかも歴史が証明している。
だが現代は過去の歴史と単純に比較できない側面がある。
それは現代のテクノロジーが過去に比べてあまりにも急速に進化し過ぎていて、人類が適応できていないという点である。
これはデジタルディバイドと呼ばれる社会問題の一種であり、それを解決する為にデジタルを扱えない人間を社会福祉が最大限サポートする環境を整備する事が急務である。
ただデジタルを扱えない人間は今後間違いなくマイノリティになる為、多数派の暴力により迫害を受ける危険性もある。
これが民主主義が抱える問題の一つでもある。
様々な理由から、今後の社会ではネットをベースとした生活様式にならざるを得ない。
その環境下で我々人類は常に主体的に行動する姿勢を見せ続けないと人間がネットに支配される暗黒の時代へと突入する。
すると人類の共同体意識は徐々に崩壊し、人々の孤立化を加速させるので人類の持つ実存が脅かされてしまう。
社会の分断が進むと、孤独を感じる人間がもっと増えると思うよ。
確かにそうですね。
すると人間の心の弱みに付け込むビジネスもより一層跳梁跋扈するだろうね。
そう考えると少し怖い世の中ですね、、、
主体的に生きる事が社会の分断を無くす解決策
今の時代は価値観が喪失している時代とも言われていて、皆が何を希望にして生きれば良いのかが分からなくなってきている。
目的が見つからないから必然的に受動的にならざるを得ないので、よりネット社会は加速するだろう。
孤独を抱える人間にとってネットの存在は劇薬と同じなので飛びつかない訳がない。
GAFAを頂点とする巨大IT企業はまさにそういう心に弱い部分を抱いている人間を食い物にする為に日々策略を巡らせている。
また人工知能の自動化によって人間の仕事も徐々に奪われつつあるので、暇を持て余している人間も年々増加傾向にある。
暇な時間を上手く扱えない人間も今の時代では生き辛いだろう。
あえて仕事や家庭に没頭して忙しい環境に身を置く事も立派な生存戦略であるが、それは本質的な解決策ではない。
やはり最終的には自己の内面的な実存を確立しなければならないし、まさにそれを再考しなければならない時代に突入していると考えている。
レビィ=ストロースの登場で構造主義という思想が生まれ、現代のポストモダン哲学の潮流はポスト構造主義である。
実存主義のエースであったサルトルが構造主義の登場により一気に勢いを失ってしまったが、個人的には再び実存主義の流行が返り咲くのではないかと考えている。
生きる意味を失った人間は哲学的にはニヒリズムに陥る状態となるのだが、この状況下で人生を好転させる為には余程強靭な精神性を持たなければならない。
色んな意味で子供から大人まで現代人は大変な時代を生きている。
テクノロジーが発達して生活が便利になったが、その分失ってしまう要素の方が大きいというのが正直な私の感想である。
その困難たる時代で図太く生きていく為にすべき事は、常に自分自身を見失わない事である。
突き詰めれば仏教思想の諸法無我の様に全ての概念には実態が存在しないのだが、自分の内部に存在する精神性に実存を求める事は何ら人間として不自然な事では無いと考える。
今でこそ実存主義の発想は世界の哲学の潮流はもはや下火であるが、まだまだ現代思想でも通用する概念であると個人的には思う。
最終的に自分を認める存在は自分しかない。
よく自分との戦いという言葉があるが、あれは自分以外の存在に評価される事はあくまで社会的価値にしか過ぎず、自分自身を認めるという本質的な価値には繋がらない事を意味する。
社会の分断が進むと他者と関わらない生活傾向となり、無意識レベルで頭が悪くなるので自分自身の精神性を極めるという精神的成長の機会が著しく損失してしまう。
健全な人間関係の構築を日々意識する為にも常に主体的に人生を生きなければならない。
そしてどんな情報に対してもある程度懐疑的な姿勢を持つ事が大切だ。
主体性を持って生きることが大切ですね。
そうね。そういう意味では実存主義の人気が徐々にまた再興するんじゃないかと考えてる。
今の時代って選択肢が多いから自分を見失いがちですもんね。
最近は何かと価値観の多様性が叫ばれているけど、裏を返せば確かな概念が存在しない事を意味するから。
そう考えると現代人は頼るものが曖昧なので大変ですね、、、
自分なりの軸を持たないと世界に振り回される人生になっちゃうよ。
こんにちは、心理漫画家のパラノネコ(@neko_parano)です。