インターネットを利用した最適な人間関係の構築方法

パラノネコ

こんにちは、心理漫画家のパラノネコ(@neko_parano)です。

多部 茶医奈

こんにちは、アシスタントの多部 茶医奈(@chaina_tabe)です。

多部 茶医奈

今回の話題は私も興味あります!

パラノネコ

多部ちゃんもSNSとかよく利用するの?

多部 茶医奈

基本的に見る専で自分から相手に絡むことはあまりしませんが(多部ちゃんって何だよ、、、)

パラノネコ

基本見る専の人にも役立たつかもしれない内容なので、期待しないで読んで下さいまし。

多部 茶医奈

元々期待してませんから、、、

バーチャルファースト時代の到来

今の時代はインターネットが存在するので、新たな人間関係を比較的簡単に構築する事ができる。

ネットに於ける匿名性という性格上、他人と気軽に関わる事ができるので、コミュ障の人間でも昔に比べれば遥かに友達を作るハードルが下がっている時代である。

それ自体はとても素晴らしいことであるし、孤独に苦しむ人間が減るので非常に喜ばしい。

最近何かと「個人で稼ぐ」や「自由に生きる」的なフレーズが世間で蔓延しているのも、インターネットを使えば簡単に起業できたり、コミュニティを形成できるからである。

こういう好きなことを仕事にしやすい社会になっていくことには基本的に大賛成である。

ただ、このような時代においては一個人の心理学者として懸念すべき事項も多いというのが本音だ。

まず、あまり苦労を知らずに安易にテクノロジーに恵まれすぎるあまり、比較的簡単に結果を出してしまう人間が増加するという点である。

合理化や効率化が進む時代においてはある意味必然な状態であり、世界を覆う空気がそういう論調で支配される勢いは今後も更に加速していくだろう。

だが私はそんな社会に一石を投じたいのである。

時代が進めば生活の全てがバーチャルファーストになる時代はおそらく必須であろう。

学業や仕事、遊びや生きがいまでもが全てバーチャルで完結する時代の到来である。

だが、そんな時代であっても現実世界は確実に存在するわけであり、その環境を無視する事はどんなにヴァーチャル環境が整備されようとも永遠に無くならないことは確かである。

子供から大人まで、様々な人間が一瞬で世界と繋がることが可能な時代はある意味で人間関係における一種の革命的変化であるが、変化には痛みが伴うのが歴史の常である。

インターネットが無い時代の頃の人間関係の構築は、当たり前だがリアルな空間で対面するしか無かった。

そしてある程度段階を踏んで徐々に親密な関係を作っていく作業が、良くも悪くも必要であった。

だが今の時代はインターネットというヴァーチャル空間で、匿名性という盾に守られながらワンクリックで他人と気軽に繋がれる時代である。

故に人間関係を構築する際のハードルは昔に比べれば格段に下がった。

この事象を前向きに捉えるのであれば、非常に合理的な出会いなので、地理的距離や時間的制約に捉われずに気楽な人間関係を持つ事ができる。

だがそれによって失う事も多くなったというのが私の率直な感想である。

多部 茶医奈

インターネットが無い生活はもう考えられません。

パラノネコ

現代人の大多数の人間はそう思うだろうね。

多部 茶医奈

先生はそう思いませんか?

パラノネコ

もしインターネットが存在していなかったら今頃死んでたと思うよ。

多部 茶医奈

そういう発言をサラッと言うのはやめて下さい。

社会不安を増大させるネット社会

文明の利器を上手に使いこなして自分の幸福をデザインする為に努力することは当たり前であるが、しばしばその文明に人間が振り回され、逆に不幸になってしまう事が散々と歴史で証明され続けている。

故に主体的に行動し、しっかりと自分の頭で考える習慣を持たなければ現代人は生きる屍、いわゆる哲学的ゾンビと化してしまう。

ニーチェの思想で末人という考え方があるが、それに近い感覚である。

小さな昼の快楽、 小さな夜の快楽をもっている。 だが健康が第一だ。 「僕らは幸福を発明した」――― 最後の人間はそう言って、まばたきする――― (ツァラトゥストラの序説)

フリードリヒ・ニーチェ – ツァラトゥストラはかく語りき

要するに自己の主体性を著しく失い、日々惰性だけで生きているという状態だ。

文明が高度化するとそういう人間の再生産がより加速され、今後はそういう人間が世界で溢れかえるのではないかと私は危惧している。

するとどういう社会デメリットが発生するかというと、自己の実存を確立できない自己肯定感の低い人間が増加し、特に理由を持たない無思想者による社会犯罪が増加する可能性があるという点だ。

今風の表現で言うと「無敵人間」の量産化である。

堀江貴文さんはこの人間らのことを「KKO(キモくて金の無いおっさん)問題」と言及しており、これが社会不安を加速させる要因となり得るのではないかと考えている。

この様な人間が量産される背景には、自分の人生に対して責任を持たない、もっと言うと夢を持たずにただ惰性で生きているだけの人間が増加する社会構造が形成されるということである。

この根本的な問題を解決しない限り、無敵人間の様な犯罪者は今後も更に増加するだろう。

この様な人間が抱えている問題の一つには、社会の分断による個人の孤立化があると考えている。

孤独は人間にとって様々な悪影響を及ぼし、寿命が減る要因であると統計学的にも言われている。

その中でも特に私が危惧すべき点は、思想が偏ってカルト化する危険性が高いという点だ。

すると危険思想を持つ人間が増加し、これもまた社会不安を引き起こす要因の一つとなり得るだろう。

故に我々人類は良好な人間関係を構築する様に今まで以上に努力をしなければならない。

幸いにも今ではインターネットがある程度普及しているので、ネットを活用して様々な人間と積極的に関わることが可能である。

コミュ障タイプの人間で現実世界で他人と知り合う事が苦手な人間でも、ヴァーチャル空間であれば気楽に他人と関係を持つことが可能となるので、これは大いに活用すべきである。

多部 茶医奈

社会犯罪が増加するという予測をしているんですね、、、

パラノネコ

あくまで個人的な見解だけどね。

多部 茶医奈

でも確かに積極的に他人と関わらなくても生活できる時代になりつつある事は私も同感です。

パラノネコ

わざわざリアルで対面で会わなくてもリモートで仕事が完結しちゃうからね。

多部 茶医奈

でもなんかそういう時代も時代で何かもの悲しい気持ちがします、、、

パラノネコ

お!とうとう多部ちゃんも老害化の傾向が出てきたな!

多部 茶医奈

私はまだ20代なので老害呼ばわりはやめて下さい、、、

賢いインターネットとの付き合い方について

とある社会心理学の研究によると、いきなり現実世界で出会うよりも、事前にある程度ネット上で人間関係を構築した上で現実世界で他人と関わった方が、人間関係が長続きするというデータも存在している。

我々人類はそれが倫理的に良いか悪いかは別として、ヴァーチャル上での人間関係の構築というテーゼは、有名なSNSを筆頭とするヴァーチャルプラットーフォームの存在がもはや現代人の生活の一部となっている以上、無視できない状態となっている。

要は過去の時代へと後戻りはできないので、新たなテクノロジーや環境に適応すべく我々はデジタルを使いこなさなければならない時代へと突入しているということを再三に私は主張したい。

もちろんこれには様々な異論や批判もあると思うので、私はそれらの意見も甘んじて受け止める次第であるが、少なくともこれからの時代は過去に執着せず、未来志向的な発想で今後の生活スタイルを考えなければならないことだけは事実である。

今日の話題の主題であるネット上での上手い人間関係の付き合い方であるが、私の意見としてはある程度の主体性を持ちながら自分の頭を使って動きつつ、ネットの拡散力や影響力といった社会的要因をしっかりと体感しながら肌感覚で勉強した上で、個々人がしっかりとした倫理観を持ちながらネットと付き合うことがベストではないかと考える。

まとめるとPCやタブレットの向こう側には確実に一人の生身の人間が存在し、その人格を無視したコミュニケーションを展開することは、ネットであれど基本的にナンセンスであるということだ。

匿名性という盾に甘んじ、最低限の社会的常識を弁えずに倫理観を軽視した人種がネット上には余りにも多いというのが私の所感であり、少し話をマクロな視点に移すと、人間の欲望が段階を踏まずに発露している人種が跳梁跋扈し、社会的には無法地帯の状況を呈し、実際問題として犯罪の温床になっているという面もある。

今の時代は赤ちゃんや子供がインターネットの世界に気軽に触れられる時代である。

冷静に考えればそういう時代は、ネットを学習するハードルが低いという観点からすれば喜ばしいと思う反面、あまりにも子供が背負うべき社会的リスクが大きすぎると思うのが正直なところだ。

その為には少なくとも幼稚園や義務教育等の教育の現場でしっかりとインターネットとの正しい付き合い方を教える必要があり、それが国や成人した大人たちの義務であり使命であると考えている。

子供は基本的に後先のことを考えず、単に面白いという興味本位のみで行動してしまう傾向があるので、そこにしっかりと責任が伴うことをどうしても蔑ろにしてしまい易い。

そのようにしっかりと自分の行動に対して責任を持てない精神的に未熟な人間には安易にインターネットを使わせるべきではなく、ある程度年齢の基準等を用いて、ネットの使用に対して段階を踏ませる事を法的に検討しても良いだろう。

それから行き過ぎた匿名性の文化はネット上に於ける行動の責任の担保が全く効かないため、ある程度実名性も導入すべきであると考えている。

昔の時代では考えられないほど大量の情報を日々浴び続けている現代人は情報の毒に晒され、それがうつ病を代表とする精神疾患の原因にもなっていたりする。

情報社会やデータサイエンスは今後さらに発展し、それらが社会の基礎やインフラとなる事はもはや避けられない事なので、もう人類は後戻りはできない。

だからこそ不幸な人間を一人でも減らすために情報やネット、SNSの危険性をしっかりと認識し、それらを上手く活用できる人材が増えるように、国や行政、教育機関はネットとの上手な付き合い方を啓蒙する必要があるし、我々パラノネコ事務所も引き続き主に心理学研究というコンテンツを用いて微力ながら社会に貢献したいと考えている。

多部 茶医奈

だんだん話の内容が難しくなってきましたが、概ね理解はできた感じです。

パラノネコ

少し気を抜くと私の話はどうしても難解な方向に行っちゃうから。ごめんね。

多部 茶医奈

いえ、大丈夫ですよ。でもなるべく分かりやすく話して下さいね。あと我々パラノネコ事務所もより良い社会を創る為に可能な限り共に頑張りたいですね!

パラノネコ

(分かりやすい説明ができるように本でも買って勉強しようかしら、、、)

多部 茶医奈

(せっかく良い感じでまとめたのに、この人私の話を聞いてないな、、、)

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